先日、ある利用者さんの外出支援に際し、洋食レストランで食事をしたいとの希望があった。車いすでの移動、かつ医療的ケアが必要な彼女の場合、それなりの準備が必要である。お店選びを任された私は、まずは外出先の地域で【リクライニング型車いすが入店できる洋食レストラン】を検索した。店先にスロープが設置されているお店を確認できたので、私は電話で相談することにした。入店できればそれでいいという訳ではない、その後が肝心だからだ。
「今まで席の取り置きはしたことがないんですよ・・・。」
と、女将さんからの先制パンチを喰らったものの、私は事情を伝えた。
「そしたら、椅子を2つのけてスペース作らないかんね。」
「ちょうど、あそこをのけたら、広いから・・・。何時ころ来られます?」
物は相談とはいうが、幸いにも予約が取れて私はホッとした。お店にすれば創業20年目にして初の予約席だ。
当日、私たちは約束の時間に少し遅れて到着した。地域でも人気の店であり、最繁時でもあるためか人の出入りが多い。私は内心、この時間帯に席を取ってもらえた有難さと同時に、これから店内でケアのために立ち回る我々の姿を想像して、少なからずの緊張が走っていた。
どうか、ここで食事をしている他のお客さんの理解が得られますように―――
車から降りてスロープへ向かう我々を、店内で気づいた女性スタッフがわざわざ玄関に出てきて迎えてくれた。
「お待ちしていましたよ、ようこそ。」
私はこの一言で、肩の力がすーっと抜けていくのを感じた。
案内されたテーブル席は、お願いしていた通りのスペースで、安心して食事ができそうである。忙しそうにしていた女将さんであろう女性も我々に気づき「いらっしゃい。大丈夫?」と笑顔で声をかけてくれた。昨日の電話口と同じ声だ。
ソファーに腰を下ろして安堵感に浸るのもつかの間、早速ヘルパー達が協力してカニューレの吸引を始めた。周りは食事中である。鳴り始める吸引器の音に不思議そうにキョロキョロ周りを見渡すお客さんもいる中で、手際よく医療的ケアが施される。
その後、利用者さんが注文した鉄板焼きナポリタンが届けられた。熱い料理に息を吹きかけながら、美味しそうに食べる彼女のその満足そうな笑顔が堪らなく嬉しかった。我々も介助の合間を見ながら入れ代わり立ち代わりで食事を済ませた。「ゆっくりしていってよ。」とコップに水を注してくれる女将さんの声は私の心も満たした。
その時であった。
「ツケモノ!」
少し離れたテーブルに座る家族連れ、幼い女の子が叫んだ。
「ツケモノ!つけものぉ!漬物ぉー!」
彼女の目の前には美味しそうなお子様ランチが据えられているが、どうやら漬物が食べたいようで、体をよじって泣きださんばかりに両親にせがんでいる。母親は周りを気にして強く叱る訳にはいかず、あやす言葉も見つからず、対応に困り果てている。それもそうだ、ここは洋食屋さんである。さすがに漬物をリクエストされては親はお手上げだ。少しずつ周りのお客さんの表情もくもり始めるのを感じた。
しかし、私は興味深くその様子を目で追っていた。なぜなら、離れたところにいる女将さんが一瞬だがその子に顔を向けたからだ。
言い知れぬ予感は当たった。
「冷蔵庫に沢庵あるでしょ、みて、それ。小皿にちょうだい。」
小気味の好い女将さんのオーダーで盛られた沢庵の小皿が、声を出して泣き始めた幼子の目の前にトンと置かれる。
「はい、お待ちどう様。お漬物。」
まるで時が止まったかのように、彼女は女将さんを見上げる。両親も驚いたように小皿を眺めている。叱るでもなく、あやすわけでもなく、女将さんはその場を仕上げた。申し訳なさそうにする両親に「梅干しもあるわよ。」とおどけるように微笑む。これを器量というのだろう、粋だ。私は隣に座るヘルパーに「この店のホスピタリティ、ハンパないな。」と小声で伝えた。
幼子は無言で黄色い沢庵にかじりつく。その後、笑顔でお子様ランチも食べ始めた。一家団欒が再開された様子を見つめているヘルパー達の目尻も下がっていた。この店のいちばんのごちそうは、ホスピタリティだ。
昨今、俗にいうサービス業に限らず、医療・介護現場などにおいてもこの【ホスピタリティ】が注目されていて、組織全体の【ホスピタリティマインド】を高める働きかけが目立つ。この言葉を辞書でひくと、大抵は【おもてなし】と書いてある。ホスピタリティマインドはさしずめ【おもてなしの心】といったところだろう。興味本位で【サービス】も調べてみると、語源は【セルヴィタス=奴隷】とあった・・・。世の中には知らない方がよいことが確かにあると痛感し、背筋が少し寒くなった。
客人が求めた正当なサービスを店側が適切に提供してその対価を得る、このやり取り自体は経済取引である。一方、このサービスに上乗せする形で客人に心を配り、相手を気遣う言葉やふるまいに努めながらも、これ自体への対価は原則として求めないのがホスピタリティだ。ピラミッドに模して接遇の段階を説いたものがあるが、ホスピタリティはサービスよりも上位の層に位置づけられている。
食事を終えた利用者さんを車に案内した私は、最高のおもてなしを受けられた感謝を伝えようと店に戻り、接客を続ける女将さんに少し離れたところから頭を下げた。
女将さんは微笑みながら「またね。」と軽く手を振った。